"自伝幼少年期"の記事一覧

ファミコンのコントローラーがねちょねちょしていた友達

小学校の頃は、よく友達の家に ファミコンをしに遊びに行った ある日、ある友人と 今まであまり遊んだことがない 同級生の家に遊び行った 遊んだゲームは、確か マリオブラザーズとか だったと思う。 遊んでいるうちに そのファミコンのコントローラーの Aボタン・Bボタンが ねちょねちょしているの気づい…

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橋の上から一番に飛び降りた

小学校6年生の時は、 夏になるとよく川に泳ぎに行った。 川だと流れに乗って遊んだり出来るので プールで泳ぐより楽しいのだ。 ある日、友達2・3人で川に行ったとき 上級生は橋の上から飛び降りて遊んでいた 僕らは呼び止められて、 誰かここから飛べるやつはいないか? 橋から川まで…

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超軟弱主人公ゲーム「スペランカー」

僕の小学校時代で言えば、 超難関のゲームといえば 「スペランカー」と「魔界村」だ。 特に「スペランカー」などは、 主人公が軟弱過ぎてすぐ死んでしまう。 自分の身長より低い段差でも落ちたら死ぬ。 ロープを滑る降りるときに、踏み外すと死ぬ。 下り坂でジャンプすると死ぬ。 理不尽すぎる。 小学校の時にこの最弱のヒ…

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何故か最終的に殺し合いになるファミコンゲーム

小学校の頃は友達とよくファミコンをした。 だいだい友達と二人でファミコンする時は、 対戦するゲームになる。 当時は、格闘系の対戦ゲームがなかったので、 僕らは対戦用ではないゲームにおいて 対戦ゲームをよくした。 アイスクライマー・初期のマリオブラザーズ などは、二人同時にプレイできるので、 最初は協力して、プ…

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ケイドロに命を懸けて遊んだ小6

僕がワラエモンを抜けて、 小学6年生になった時には、 ケイドロが流行った。 小学6年の時は、 僕の家がたまり場のようになっていて、 僕の家でファミコンをして、 それから公園に行き、 ケイドロをするというのが、 遊びのパターンになった。 ケイドロというのは、 刑事役と泥棒役にチームが分かれ、 最初に泥…

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ファミコンばかりしていた小学校時代

小学校時代はファミコン ばかりやっていた記憶がある。 僕が初めてファミコンを購入したのは 小学校3年の時だったと思う。 親にみんな持っているという お決まりの文句でなんとか購入した。 最初に購入したソフトはスパルタンX 今考えればしょぼいゲームだが、 当時は熱中した。 両親ともにファミコン ばかりしていてと怒られ…

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年末餅つき大会のハプニング

父方の実家では、 年末になると餅つき大会をする。 小学校時代は、毎回参加していた。 正月はそのお餅で雑煮を作っていた。 中学になると参加しなくなり、 父方の親戚とは どんどん疎遠になっていった。 そんな餅つき大会で、おじいちゃんが 餅をついていた。 それを僕は見ていたのだが、 その時目撃してしまったのだ。…

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父方の親戚一同の集まりが嫌だった

私の父方の親戚は、 自分の住んでいる同じ市内にいた。 父は、長男だが、実家から出て、 自分の家を持った。 父の実家は、 父の一番下の弟があとを継いでいる。 そんなことが原因かもしれないが、 親戚はなんだがみんな僕たちに対して 対応が悪かった。 毎年、年末になると 父の実家に帰ると親戚一同集まり、 餅つき大会…

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下級生と喧嘩して負けた話

小学5年生の時、1つ下の下級生と喧嘩した。 その下級生は生意気な奴であるきっかけで、 休憩時間中にもめて喧嘩になった。 何が原因だったか今は覚えていないが、 些細なことだと思う。 最初は、僕のほうが優勢だったと思うが、 しばらくするとそいつの仲間が助太刀に入って、 結局3人がかりでやられた。 周りで人も見てい…

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ワラエモンというグループ

僕は小学3年生から5年生の間、 ワラエモンというグループに入っていた。 そのグループは、とにかく人のことを笑い 馬鹿にするというグループだ。 別にスクールカーストの 上にいるような存在ではない。 むしろ周りから 相手にされていないような感じだった。 何しろ、他のグループは サッカーをしたりしている最中に ワラ…

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嫌々通って初段までになった少林寺拳法2

少林寺拳法を習っていた間、 特に嫌な思い出が2つある。 一つは、いつか忘れたが、 少林寺拳法の総本山がある 四国に行った時である。 僕だけ、海水パンツを忘れて、 確か、先生に海水パンツを借りて 大きすぎてずれないように 気をつけながら泳ぎ全然楽しくなかった。 もう一つは、以前の記事で書いたと思うが、 …

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嫌々通って初段までなった少林寺拳法1

僕が小学校低学年の時、 カンフーブームだった、 ブルース・リーやジャッキー・チェンが 全盛期だった。 当時私の自宅にはビデオがなかったが、 大阪のいとこに家にはビデオがあり、 大阪に遊びに行ったときは ジャッキー・チェンの映画を 何度何度も見た。 特にジャッキーが最後に 1対1で敵と戦う ~拳のシリーズが好きだ…

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サッカースクールが嫌だった

私は、ボールを使う 集団スポーツが極めて嫌いだ。 サッカースクールには、 小学校低学年ときに少し通っていたが、 すぐに辞めた。 やはりここでも人間関係が 嫌になったのだと思う。 私には、何も考えずに 体を動かすことが出来ない。 もちろんサッカーなどもプレー中は プレーのことを考えるのだろうが、 私は別のこと…

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英語塾クリスマス会帰り道の嫌な思い出

小学校低学年から、小学4年ぐらいまで 英語の塾に通っていた。 最初は、英語を喋れるようになりたいとか、 そういった健全な理由というよりは、 カタログを見て、 おもちゃがいっぱいある気がして わくわくして始めたような気がする。 開始の理由がそんな不純な動機なので、 しばらく通うと行くのが嫌になっていた。 塾にいる…

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足の裏に錆びた釘が刺さり生涯一痛い出来事

幼少期で一番痛い思い出は 足の裏に釘が刺さったことだ、 あれは小学校低学年の時、 近くの廃材置き場で遊んでいた時だ 廃材置き場には、 壊れた家電や鉄くずやらのがらくたで 溢れたいた 僕はよくその廃材置き場で友達と遊んでいた、 子供心にあの隠微な 世界に酔いしれていたのかもしれない、 ある瞬間、僕は廃材の頂上に…

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親父を尊敬していた

幼児期の私は、 親父を尊敬していた。 親戚のおじさんには、 「僕のお父さんはすごい」と 言い回っていた。 特に車の運転が出来るのが すごいと思っていた。 今考えれれば、何でもないことだが、 小さな子供にとっては スーパーマンに思えたのだ。 でも大人なりスーパーマンでなくなった。 父は、50代で 脳梗塞で…

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